7月8日
初音島 墓地
一人の女性が墓の前に立っていた。
彼女、芳乃深夜にとっての母…さくらや純一にとって『おばあちゃん』とも呼べる人の…それは墓だった。
「ふぅ…母さん、久しぶりね。」
7月6日
初音島 朝倉家
夕方
まったくかったりぃなぁ……と純一は猛烈に感じていた。
彼が見ているTVの画面の右には、彼の義妹である朝倉音夢が。左には純一の横に座っていたさくらの母こと、芳乃深夜がそれぞれ移っていた。
先日、さくらが勝手に呼んだ杉並によって設置された防犯カメラという名目の盗聴器みたいなものだ。
音夢の帰宅にあわせて、さくらの母深夜が言ったのは
『ちょっと音夢ちゃんと話したいから席を空けてくれる?』であった。
そして、今、カメラの前には音夢と深夜さんが写っているわけだ。
『まあ、始めましてなのかな?さくらの母の芳乃深夜と言うからよろしくね。朝倉音夢ちゃん。』
すると、深夜さんはゆっくりと手元にあった玉露を飲み始めた…
(落ち着く…日本茶というものは、これで色々とうまくできているものね…母さんが日本好きだったのも分かる気がするわ…)
『今回帰って来たのも、実は耶依(やえ)に音夢ちゃんが今日帰ってくるという話を聞いたからでね…
まずはさくらの母親としてごめんなさい。続いてあのバカ婆…いえ、母さんのことでもごめんなさいね。色々と迷惑をかけて。』
いったい、さくらの母さんは何を考えているのか…それを知るために俺とさくらと話した結果が盗聴だった。
さくら疑惑『あの母さんが理由も無く来る事なんてないよ。ボクがここに来る事だって送りに来なかったんだからね。』らしいが…
「さくら。あの母さん…まさか…」
「多分、魔法の事を含めてすべて話すつもりだね。母さんは基本的に魔法嫌いだからそうだよ。」
魔法嫌いはお前もだろ…という突っ込みはシリアスムードたっぷりのさくらに言えるはずが、さすがの純一でもなかった。
『あの事件…桜が枯れなくなり、あなたの体にも異常が起きたのには理由があるわ…
ひとつはあのバカ婆…母さんが桜の木に掛けた魔法…多分、音夢ちゃんも薄々とは気づいていたでしょう?
あの魔法の桜の木は本当の魔法の木だと…?』
『…たぶん、薄々は気づいていたんだと思います…』
気づいていた…いや、誰だって桜の木に願って願いがかなえば桜の木が枯れないことも含めて魔法だと思うのは当然か…
純一はそうも考えたが、どうも音夢のあの言い方はそれだけでもないような気がした。
兄としての直感…といえばそれで終わるそれがだ。
『それで、私はあなたに謝りたいの。魔法の木はあの婆がさくらのために作ったもの。魔法の力はさくらの思いを何よりも優先させる。
あなたの病気も、あるいはその類なのかもしれない…さくらが帰ってきてから言った言葉がそれ…』
「さくら…お前……」
「ボクは結局音夢ちゃんにひどいことをしたんだ…それをアメリカに行って気づいたら…ボクだって泣きたくなる事ぐらいあるよ…」
そのとき、純一は今まで見た事のないさくらの新しい一面を見たような気がした。
他人を思いやる人はそれ相当いるが、自分が本当にやったかも分からないことに泣ける人間はほとんどいないだろう。
さくらはそれまでに音夢に嫉妬していて、それで…同時に何よりも音夢が好きだった…
まったく…かったりぃやつだな…と思いつつ、さくらの手を掴んで少しだけ純一は自分の方に引き寄せた。
「ふにゃ?」
「まったく…かったりぃぞ…まあ…そんなに思いつめていたのか…あの騒ぎは終わったと思っていたからなぁ…帰ってから…とはな…」
「ボクだって好きな人の前で泣いちゃいけないと思うときだってあるんだよ…」
そんなラブラブなフィールドを発生させつつも、いつの間にか話は進んでいた。
『でもね。私はどうがんばっても。例えさくらに母親失格と思われていても母親なのよ。それゆえにさくらを守ってあげたい。
そこで耶依にあなたがどんな趣味か等を聞いたわけ…それであるひとつの可能性に思い当たったの。
あくまでも可能性。本当はさくらが音夢ちゃんと純一ちゃんとの間に嫉妬して起こした事件かもしれない…
でも…寝る時間が増える。異常にも不思議な口から桜の花びらが。いきなり倒れ、さらには記憶喪失…あまりにも《できすぎている》とは思わない?』
『どういうことですか?』
まるでひとつの探偵が犯人に対して話しかけているような感じに、音夢も多少の心想いでもあるのかゆっくりとした口調で深夜にたずねた。
『…まるで音夢ちゃんが好きなドラマそのものの展開…あなたは、そういう展開を望んでいたという可能性がある…
それと、さくらの想いが重なった結果があの事件…そうとは言えないかしら?』
いきなりのひとつの仮定…だが、純一には逆にそう思い当たる節がいくつもあった。
音夢が見ていたドラマは実際に兄弟愛を描いていたし、幾多の危機があるらしい。その中にいきなり倒れるとか
記憶喪失とかあってもまったく不思議ではない…むしろ、そういう展開の方がドラマとしては引き寄せられるだろう…とすら純一には感じ取られた。
同時にさくらも、目の前で母親が話し始めた話しにある種の驚きを隠せないような顔になっていた。
『私も最初はそう考えなかった…でも、私はこれでも魔法使い。あのバカ婆の娘だから仕方ない部分はあるとして
事務作業的にそれを行って、また魔法使いになりたいという子にも魔法を教えているけど、その子がその話しをしたらこう言ったのよ。
《きっと、その妹さんの思いも桜の木に届いたんですね♪》って…そう考えたらすべて納得がいった…違う?』
『違うって言われても…桜の木の魔法は薄々疑っていましたし、確かにさくらちゃんにそんな感じがしていたのも事実です…
私…やっぱり、兄さんのことが好きだから…なのかな?』
あえて音夢は『好きだった』とは言わず『好きだから』と現在形を使った。
きっと、音夢は今でも自分のことが好きなのだろうと純一は自分の心の中でその言葉の真価を感じ取っていた。
『そういってくれると助かるわ…なら、桜の木は完全にその力を消失していないことになる…
もともと桜の木は『さくら』だけではなく『音夢』ちゃんに対しても同等の効果があるようにあのバカ婆が作りだしたものだもの。
ただ、もともと魔法の木と知っていたさくらと音夢ちゃんでは効果の力が大きく違っただけ。』
「…それは事実なのか、さくら…?」
正直、それを聞く事ですら今の純一は厳しかった。だが、聞かないといけない。
桜の木が完全にその力を失っていないのなら、再び咲くことがあるということだ…それゆえに、多少厳しくても純一は聞くことにした。
「多分…ボクよりも魔法に関しては母さんの方が上だよ。魔法嫌いって言うのはおばあちゃんと喧嘩してから。
それまでは魔法一本の人間だったらしいから。それもおばあちゃんに聞いた事で確かかどうか知らないけど…
だから、その母さんが言うことなら…事実だと思う。」
『そして、その桜の木は音夢ちゃんとさくらが集まって、それぞれの想いが方向性は後として強まった事で再び咲き始めるわ…
明日には、初音島の桜は再び咲き乱れるでしょう…音夢ちゃんも、またさくらと同じように桜の木に決断しない限りこれは終わらないわ。』
『決断…?』
決断。さくらがした決断はさくらを枯らすこと。それと同じような決断…さくらの枯らすことかと純一は思った。
だが、予測とは違う言葉が深夜の言葉からは続いて出た。
『…桜の木を枯らすことをあなたは願えばいいわ…私が母さんの魔力を押し倒して無力化すればいい。
こんな突飛な話しが信じられるかは…明日のさくらの木を見てくれれば分かると思うけど…多分信じてもらえていると私は思っているわ。』
その言葉とともに監視カメラが一斉に止まった。
一瞬、純一は何が起きたかさっぱりだったが、さくらはふと気づいたような態度を取った。
「母さんだ…魔法できっと盗聴器の存在なんて知っていて…それでボクたちに聞かせた…何かを訴えるために…
きっとそれはあれ…桜の木の残留魔力をすべて消し去ることだよ。ボク達にも何か母さんはさせるつもりなんだ。
だけど、あえて母さんは言わなかった…ボクたちにそれは探せっていうことなんだよ。」
探せかぁ…やっかいだ。
あの話しだと、音夢は明日にでもあの深夜さんと一緒に封印するだろう…そこで俺たちは何をしろと…
うん?待てよ…昨日の深夜さんの発言に……
「母さんの昔話…あれがヒントだとボクは思うんだけど…お兄ちゃんはどう思う?」
「俺もまったく同じ事を考えていた。確か…」
『7の月。7の日。私と初恋だった相手は別れなければならなかった。相手の転勤かなんかで初音島を離れる事になったのよ。
もちろん、そんなこと言っても意味はなく…私は……だけを言って…で…をしたわ…』
あの時、途切れ途切れで言っていた言葉…しっかりとよく聞いておけばよかったなぁ…と後悔する純一。
さくらも同様にしっかりとは聞いていなかったようで、その…の部分だけがよく分からなかった。
「仕方ない…明日、朝一でさくら。一緒に調べるしかないだろう…まあ杉並あたりに聞けば分かるかもしれないからな。」
なぜか、50年前の初音島の情報すら網羅し、うわさでは50年後の未来の情報するもつらしい男『杉並』
悪友ではあるが、どことなくそんな感じがしないでもない。あいつなら知っていると思えるところがあいつのすごいところだ…
とにかく、そんなことで話していると下の階の話しは終わったらしく、音夢も深夜さんも上がってきて
『さぁ!!酒よっ!!夜酒よッ!!せっかくの七夕前の夜なんだからどんどん飲みなさい〜〜私が許可するわ〜〜』
と言って上がってきた。
音夢も笑っているところからすると、暗い話しばかりではなかったようだな…って
一応未成年の俺たちに建前だとしても、お酒を飲ましたらいけなくないのか…?
さくらの耳元で『明日の8時30分。風見学園前』と伝えると、俺とさくらは何事も無かったように下に向かって
深夜さんの言うとおりに夜酒に入る事になった。
…まだ終わっていない…ダ・カーポというよりもダル・セーニュのような明日の…それが前日の話しだった。